近況-呼吸器内科辞めて何してるのかみたいな話-
医局に入らずに専門医まで取って呼吸器内科を辞めた。時々今何してるか聞かれるので備忘録的な意味で書いておく。
【今までの勤務歴】
医局非所属、旧専門医制度
初期研修2年
→一般市中A病院呼吸器内科で後期研修3年
→別の市中B病院呼吸器内科で3年勤務(この間に専門医(呼吸器))
勤務2年目 科が解体(上司が昇進、ヤバい医がやってきて科が崩壊する)
勤務3年目 1人で働く 1年でもたなくなり退職
→訪問診療(現在2か3年目くらい)+病院(B)の非常勤
【退職エントリー】
・B病院勤務1年目~2年目前半
医局に入っていないだけのどこにでもいる呼吸器内科医だった。
B勤務2年目で専門医取得この後どうしようかな~とのんびり考えながら過ごす。
のんびりしている間に(もともと医局派遣のない市中病院だったが)それまでの常勤が立て続けに辞め始めて人数が減少する(7→3)
・B病院勤務2年目後半
常勤が辞めていく中、部長が大手の仲介会社に求人を出しまくってやたらと専門医や認定医の数だけ多い怪しい人物が突然やってきた。
評判通りの怪しさとあまりに評判通りに仕事が出来ないため、就任早々にトラブルを頻発し部長とも折り合いが合わなくなり、科自体が実質崩壊する。部長自身も内々に転職活動をしていたようで、年度末2か月前に突然退職(昇進?)を発表し、科がこのままだとなくなることを告げられる。
怪しい人物も退職することになり、自分も進退を考えなければいけない立場に。
病棟や医療事務/医事、相談室や連携室とは連携が良好に取れていたので、とりあえず自分だけ残留する決断をする。
・B病院勤務3年目
人が減って一人だけ残ることの意味を体感する。
-仕事量
仕事は急には減ってくれない。1人で出来る仕事が限られているが複数想定で振られる仕事もあった。1人分の仕事の調整すらままならないので緊急時のために仕事を振られないようにブロックしていると「仕事をぜんぜんやらない」と隣の科からクレームを言われたりした。
この1年はCOVID-19もあって「休みあっても行くところない」→「とりあえず職場行って仕事しておく/待機しておくか~」みたいなノリで無休で過ごす。
アルバイトで外に出る日以外は基本出勤、アルバイトの日も当直バイト以外は終わったら出勤するようにしていた。
-業務内容
外来と病棟を基本継続。
外来は縮小して非常勤のバイトを大量に雇う、重症の入院は外来の時点で転院させてもらう、など上層部にかなり配慮してもらう。
病院上層部は腫れものに触るような扱いで、気を遣ってよく話しかけられた。ただ新しい上司が来る気配は全くなく、科に1人しかいなかったためCOVID-19診療も担当を外れたため周囲からはやや白い目で見られながら仕事していた。
ただCOVID-19真っただ中で、入院している重症患者などの転院は基本不可能な状態だった。重症者の依頼は事前にお断りするしかなかったが、やむを得ず拾う症例も自然に出てくるので、自分のできる範囲で対応するしかなかった。
気管支鏡も研修医に手伝ってもらいながら年間10件ほど簡単な手技を中心に行って過ごす。
-体感
たかだか専門医取って数年の呼吸器内科医1人で、今まで超ハイパーに働いてきたわけでもなかったので本当に出来ることが少なく、自分の実力がこんなものかと痛感した。
この1年間だけでも失敗は数え切れないし、以前勤務していた先生に必死に相談して自分でほんの少し手を動かす程度しか出来ず、本当に無力な存在。
-心折れるイベント
1人勤務半年経過したくらいで偶然稀少遺伝子の肺癌症例を拾う。
そもそも癌の診断もなかなかつかず、ようやく全身状態を落ち着けて診断がついたまでは良かったが転院先が見つからず…入院から1ヶ月半経過してセカンドオピニオンで受けてくれた某専門病院にそのまま転院することがようやく決まる。
転院を送り出した日に某専門病院の病棟医から電話がきた。
「そんな小さい病院であんたがこの癌をこんな状態で診ていてこれからどうするつもりだったんですか~?笑(中略)まあ後はこっちでやりますよ。」
電話口で真面目にこちらで行った処置内容など話していたら上記の言葉が鼻で笑われながら投げつけられてガチャ切り。
あーもう呼吸器内科医としても見られてないんだなと心が折れて、もう呼吸器内科医やめようと決意する。
-転職活動
COVID-19の影響もありほとんど他の施設と交流もなく、知り合いも多い訳でもなく、まして心が折れていたので呼吸器内科医を続ける気も起きなくなる。
製薬会社と面談したりもするが転職の明確な時期も設定できない状況のため基本は話を聞くのみでほぼ道はなし。
話が前後するが、COVID-19が出現する前、仲が良かった相談室のソーシャルワーカーたち伝いで訪問診療を開業している人(麻酔科上がり)と知り合った。実際患者紹介のやり取り(だいぶ込み入った症例)もあり、1人勤務時代から非常勤で雇ってもらうことになり、訪問診療のアルバイトをその年から始めていた。
今の状況を話して先がないので辞めたいという話をしたらうちで働きますかと助け船を出してくれて、そのまま次年度から訪問診療をすることになる。
-残りの6か月
退職を決めて上層部に伝えたときは引き留められることもなかった。
それからは吹っ切れてそこそこの重症者も対応して落ち着けて転院させたり、気が付くとキャパは少しずつ広がっていたような感じだったが未練はそこまでなく、残務整理をして退職。
科が本当に消滅するため、外来の枠は残してほしいとだけ要望され週1回の外来は継続することになる。
【転職後~現在】
訪問診療先は週3~常勤扱いで雇用してくれることになったので週4日訪問診療、週1日B病院非常勤外来のシフトで1年半ほど継続していた。
そんな時(1年半経過したくらい)、非常勤外来をしていたら突然B病院に常勤が複数来て科が立ち直る話を偶然聞く。
詳しく聞くと、新しく来る先生はなんと一度自分と学会で面識がある先生、さらになんと知り合い(とあるフォロワー)の勤務先から移る予定と聞かされる。
かなり驚いた。
すぐに知り合い(とあるフォロワー)の謎のリクルート力が発揮され食事会が開催、常勤で来る予定の人々と会食して、戻ってこないかと言われた。
B病院に戻る選択肢もそれなりに魅力的ではあった。
・拾ってもらった訪問診療先の恩は大きい(あと給料が跳ね上がったのも大きい)
・フォロワーはB病院には来ない
・(一応)喘息やアレルギーメインにやっていたのだが、「喘息は趣味で見たらいい。」と食事の席でさらっと言われ心のどこかが引っかかる
というような理由(だけでもないが…)でいったんこのままの勤務(非常勤)継続希望をお伝えした。
現在は週3.5日を訪問診療、週1~1.5日を非常勤でB病院に勤務している。
B病院での勤務内容は当初気管支鏡の研鑽/お手伝いだったのだが、「気管支鏡の補助で仕事に来られてもバイト代は出さない(文字通りの自己研鑽)」というお達しが上から出たため「肺がん検診のレントゲンの読影を全部やるなら非常勤分を出す(時間外は+1時間までしか出さない)」と言われその条件をのんで勤務することになり、人員の都合上気管支鏡自体も自分が持つこともほぼなくなり、大半がバックアップや外回りをしている。
レントゲンは時期にもよるがだいたい年500~600枚、週最大で60枚弱あり、とても病院に行った時間内で読める枚数ではないのでだいたいは本来勤務でない日に読影しにいき、その時に気管支鏡の枝読み予習をする。当然タイムカードは押さない。
「意味ある?」と言われるとよくわからない。それでも「来なくてもいいとも言われない」上に、「学会発表で出せるものがあったら出してほしい」などなど自分も病院のデータを好きに扱えるような都合のよさもあり、現状このまま維持している。
実際国内の学会にも複数演題出したし、そこから海外の学会にも出して家族ごと連れて行って海外旅行もしたりした。
「訪問診療で生活費を稼ぎつつ、病院の非常勤でデータ(些細な臨床研究程度)をまとめて発表して論文まで出来ればいい」
稼ぎ口のある大学院生みたいなものなのかもしれないが、こちらは学位関係ないしこんなよくわからない形態で仕事してなんとなく研究している人間もあんまりいなそうだし、いいか~くらいの気持ちで日々過ごしている。
実際不安な気持ちもなくはないが、「あまりこんな形態で働いてなんとか研究している人間はいなさそう」なのと、「運が良かった」のと、「環境が自分を許容してくれているから今の形態でやっていけること」なのを漠然と感じているので、しばらくこれでやってみようと思う。
首切られたらそこまでなので身の丈を勘違いして居座ったりしないようにして生きていこうとは思う、不安定な生き方であることに間違いはない。
昔某大学の医局説明会で「医局は自分に後ろ盾が付く!」「困ったらレールを敷いてくれる!」「自分のロールモデルになる先輩がだいたいいる!」と言われて、「先にレール敷かれても生きづらそう」「ロールモデル(先行者)あるような生き方で生きていける?」みたいなお気持ちになったのでしばらくこのまま頑張ってみようとは思う(いつ折れるかはわからない)。
総合内科専門医試験を受けた
2019年の総合内科専門医試験を受験して合格したので記録を書いておく。
試験日:2019/9/8(日)
会場:五反田TOC
受験者:科は呼吸器内科、免許取得後7年目で病歴要約を提出し受験
受験時:後期研修終了後に一般病院勤務中に受験、病棟、外来、当直は休まず通常勤務を継続し受験
・病歴要約
今後提出様式が変更されるようなので参考にはならないと思われるが、判定で見られているポイントは列挙しておく。
-症例選択
分野ごとにその疾患が主病態で入院しているかはかなり厳しく見られている。
採点者にもよるが、副次的な疾患として選択して記載している要約が多いと失格にする場合もあるよう。
今回の自分の場合は内分泌系でやや副次的な病態を記載し、腎・泌尿器で尿路感染症を選択したことは採点コメントで触れられ、要約はC判定だった。
-記載項目
すべてを網羅的に記載する必要は無いが、採点者が病歴要約のみを読んで疾患を診断でき、治療と考察が要約内に含まれているかを重視している。
細かいところであるが身長、体重の記載はあるか、診断に必要な情報と選択した治療の根拠を書いてあるか、などは判定基準になるようだった。
あと最後に学会からの指針にも含まれているが、「全人的な考察」を記載しているかは採点の基準に入っているようだった。考察のところに一文社会調整について触れられるとなお良いのかもしれない。
・試験
-準備開始時期
3~4月まで病歴要約の作成、訂正に追われていたため、受験準備は同年の5月から開始した。
-使用した教材・問題集
以下使用した教材・問題集を列挙する
-生涯教育のためのセルフトレーニング問題集 第4集
-2019年のセルフトレーニング問題
一般的に広く普及している教材及び問題集、学会が提供するセルフトレーニング問題を調べつつ解答して勉強した。
勉強方法は個人に依ると思われるのであくまで自分の場合を記載する。
5月、6月
主にQBとセルフトレーニング問題集を1周して関連するYear Noteの項目を読む期間
平行して学会のセルフトレーニング問題の解答
7月
QBの2周目を行いつつ、Year Noteを少しずつ約4週かけて通読した
8月
直前であったためQBとセルフトレーニング問題集をもう1周行っていた
9月
受験
勤務の移動中(外勤の合間)などで、Year NoteのアプリからQuick Checkのみを落として行っていた。合間にやっていただけなので、試験までに1周出来た程度であった。
備考及び注意事項
実際の試験では過去問と同じ問題はほぼ出題されない。2、3題出る程度である。QB自体も予想問題集であり、現実に同じ問題や同じ項目が出題する訳ではない。
しかしながら例年、同年のセルフトレーニング問題などは比較的類似している印象はあり、過去問、同年の学会からのセルフトレーニング問題、及びセルフトレーニング問題集は一通り解いておくことをおすすめする。
昨今、上記の教材の他にインターネット講座や医療系サイトなどが広く普及している。購入は個人の自由であるため詳細な言及は避けるが、一部の講座や連載記事などは最新のガイドラインの変更点や予想問題、ポイントを押さえた講義などを謳っている。
しかしながら本番は
「最新情報のみを問う問題は存在しない」
ことは強く述べておきたい。
基本的には医師国家試験の延長であり、時事問題というよりは病態や思考を問う問題が多く、同じ問題は出題されないとは言え、問われる疾患は変わっていない。
そしてその問われる内容は実際のところYear Note及びセルフトレーニング問題集の解説に書いてあることがほとんどである。
特に講座については高額な情報商材に近い印象すらあり、どうしても時間がない場合や雰囲気を掴むには良いのかもしれないが、購入については熟考を強くお願いしたい。
以上概略について述べた。
勉強は必要な試験であるが、勉強すれば過剰に恐れる必要はないと思われる。
受験するのであれば早い方が良いとは思うが、合格出来ないわけではない。
受験される方の幸運を祈っています。